2016年08月31日

憲法と報道と

東京新聞:社説 (2016年8月31日)東京新聞:社説 (2016年8月31日)

おお!今回は、やっと「明治憲法」を取り出して来たか!
...でも、何だかヘン?
良い所も悪い所も書いてない!ただ、(ご都合主義的に)「権利や自由」がどうのこうのだけ?

で、「自由」とか「権利」とか書いてあるけど、一体、誰の?どんな?権利・自由なのかね?
まさか、故伊藤博文氏や故森有礼氏や故ジョン・ロック氏やフランス人達の権利・自由でもあるまい?(失笑)
当然、私達と同じ日本人一般庶民・市民(所謂、国民)の「権利・自由」のはずだがな?!

...では、昭和の中期(戦前)まで、一般庶民・市民には、どんな不自由があったのかな?そして、一般庶民・市民は、どんな権利が欲しかったの?...では、立憲君主制下では、それが得られなかったの?

...そうした、自らの分析が、丸で出来ていないではないか!コピペばっか?(お粗末!)
やたら、「権利や自由」が有るとか無いとか云うの連中の話ばかりじゃあ、私達一般庶民・市民には、とてもピンと来んがねぇ!(嘲笑)

ところで、戦後、強くなったのは靴下と女性(の権利要求)だって話なんだが、その「権利や自由」ってのは女性達の分だけなんだろ?
(蛇足だが、遺伝子学的、生物学的な話を知れば、皆が納得出来る話なんだが、此処では説明は省きましょう。笑)

後は、「報道の自由」かな?
...で、米軍占領下で、報道連中は、どれほどの自由を満喫出来たのかな?
ある作家が書いたという話で、
記事曰く、
...作家の高見順は一九四五年九月三十日の日記に書いた。
 <戦に負け、占領軍が入ってきたので、自由が束縛されたというのなら分るが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥かしいことだろう>
(...彼は多分、明文化を押し付けられたことだけを悔しがっていたんだろう。戦争に日本が負けたこと以上にだろうけど)
あの時期(米軍の占領下で)、日本側の報道は、米軍や米国に不利になるような文言は一切禁止・削除されていたそうだが、それでも「報道の自由」はあったと云うのかな?
この東京新聞の論説委員には、そんな話など何処吹く風?かね?それとも、あれは一時期だけだったとでも言い訳するのかな?(嘲笑)

...こんな風に、記事の都合に合わせて、他人の話を継ぎ接ぎしても、全体の風景がちゃんと描けていなければ、私達一般読者を騙すことは無理だよ!

東京新聞のこの論説委員へ]
...ところで、今のマスコミ、マスメディアは、“報道の自由”とか云いながら、「報道しない自由」を、あたかも自分達の権利であるかのように、巧みに使っているけど、あまり勝手なことばかりは、許さんぜよ!
私達一般庶民・市民に、直接だけでなく間接的な利害がある事件については、正確に漏らさず伝えなさい!

例えば、南シナ海でのシナ・中国の領土拡張の経緯や、東シナ海でのシナ・中国の我が物顔の振る舞いを、もっと克明に伝える努力をしなさい!それは、私達の納める税金や保険料にも関係するし、ひいては日常生活にも響いてくるんだからな!

それは、「報道の自由」と引き換えになるべき「報道の義務・責務」なんだよ!分かるかね?
...自分達の好きなように“報道は、省ける!”なんて思っていたら、大間違いだぜ!
多分、権利に対する義務の話は、(今時の)小学生でも分かると思うがな。

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posted by 亭主 at 15:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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